ドラッカー学会   Updated on Nov. 1, 2012 | ドラッカー学会 HOME |   
   Drucker Workshop
ドラッカー名言集

2006年2月

  オーナー起業家に天才的なひらめきがあるというのは神話にすぎない。 私は40年にわたってオーナー起業家たちと仕事をしてきた。 天才的なひらめきをあてにするオーナー起業家は、ひらめきのように消えていった。―― 『未来企業』

  社会による救済の信仰が終わりを迎えたからには、内面への志向が始まる。 あらためて個人、すなわち人間が重視される。 さらには、個人の責任への志向さえ生まれるかもしれない。少なくとも我々は、そのように望むことはできる。―― 『ポスト資本主義社会』

2006年3月

  歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、 主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない。
―― 『明日を支配するもの』

  今から20年後あるいは25年後には、組織のために働く者の半数は、フルタイムどころか、いかなる雇用関係にもない人たちとなる。 とくに高年者がそうなる。したがって、雇用関係にない人たちをいかにマネジメントするかが、中心的な課題の一つとなる。―― 『ネクスト・ソサエティ』

2006年4月

  未来を語る前に、今の現実を知らなければならない。現実からしかスタートできないからである。
―― 『産業人の未来』

  優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである。 一度も間違いをしたことのない者、 それも大きな間違いをしたことのない者をトップレベルの地位に就かせてはならない。間違いをしたことのない者は凡庸である。 そのうえ、いかにして間違いを発見し、いかにしてそれを早く直すかを知らない。
―― 『現代の経営』

2006年5月

  国民性による説明は、歴史上の因果を逆にとらえており、そのことだけでもすべての論理を無効にする。
―― 『「経済人」の終わり』

  人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである。
―― 『現代の経営』

2006年6月

  未来予測とは、希望的観測のもっともらしい別名にすぎない。―― 『断絶の時代』

  明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う。――  『創造する経営者』

2006年7月

  問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は、先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである。―― 『現代の経営』

  何も行動しないということは、いかなる行動にも劣らない立派な意思決定である。 ……問題に対しては、つねに行動をとらなければならないという考えそのものが、迷信にすぎない。――  『現代の経営』

2006年8月

  組織は人間から成るものであるがゆえに、完全を期すことは不可能である。したがって、完全ならざるものを機能させることが必要となる。―― 『企業とは何か』

  自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。 責任をもつがゆえに、自由となる。―― 『明日を支配するもの』

2006年9月

  今や社会そのもの、さらには社会活動、社会問題のすべてがあまりに複雑である。 唯一の「正しい答え」があらゆる問題に通用するはずがない。答えは複数ある。 そのうちかなり正しいといえるものさえない。
―― 『新しい現実』

  必要条件を簡潔かつ明確にするほど、決定による成果はあがり、達成しようとするものを達成する可能性が高まる。 逆に、いかに優れた決定に見えようとも、必要条件の理解に不備があれば、成果をあげられないことが確実である。―― 『経営者の条件』

2006年10月

  今の若い人はやる気がないとこぼす前に、彼らがもっているものに目を向けなければなりませんね。彼らにしても貢献への強い欲求をもっています。 むしろ彼らは焦りすぎているのかもしれません。彼らがもっているものを引き出して、社会の一員としなければなりません。―― 『非営利組織の経営』

  忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである。 ―― 『現代の経営』

2006年11月

   喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない。
―― 『非営利組織の経営』

   私は、正しい勉強の仕方、少なくとも私にとっての正しい学び方とは、 うまくいっているものを探し、成果をあげる人を探すことだということを知った。少なくとも自分は、 失敗から学ぶことはするまいと思った。成功から学ばなければならないと思った。 ―― 『ドラッカー わが軌跡』


2006年12月

   全体は部分の集積ではない。―― Landmarks of Tomorrow (1957)

   完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする。―― 『産業人の未来』


2007年1月

   成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない。―― 『非営利組織の経営』   2007年1月27日発売のドラッカー名著集の新訳より

   われわれはいつの間にか、モダン(近代合理主義)と呼ばれる時代から、名もない新しい時代へと移行した。 昨日までモダンと呼ばれ、最新のものとされてきた世界観、問題意識、拠り所が、 いずれも意味をなさなくなった。―― 『テクノロジストの条件』


2007年2月

   凝りすぎたイノベーションはほとんど確実に失敗する。―― 『イノベーションと起業家精神』

   社会生態学者にとって、言語はコミュニケーションではない。メッセージではない。それは実体である。
―― 『すでに起こった未来』


2007年3月

   ジッパーを発明した者以外で、衣類をとめるのにボタンやホックでは不都合だなどと考えた者が何人いたか。 あるいは、ボールペンを発明した者以外に、あの19世紀の発明たる万年筆に欠陥があり、その欠陥が何であるかを考えた者が何人いたか。 ……あとになって答えることは容易である。だが事前に答えることはできるだろうか。 ―― 『イノベーションと企業家精神』   2007年3月8日発行のドラッカー名著集の新訳より

   泥棒は自らの性癖のゆえに逮捕されたことを認めない。逮捕の原因となった性癖を直さず、言いわけを探す。 自らの性癖によって市場を失った企業も、それを認めない。ほかの原因を言いわけにする。
 ―― 『イノベーションと企業家精神』   2007年3月8日発行のドラッカー名著集の新訳より


2007年4月

   定年後のマネープランは必要である。しかし心理的な準備のほうはなかなかうまくいかない。 うまくいっているならば、淋しく職場を去りゆっくりと死に向けて消えていく人たちがあのように大勢いるわけがない。
―― 『断絶の時代』

   経験をつんだ後のほうが勉強できる科目は多い。マネジメントがその一つである。 ……しかも一般的にいって、重要な科目ほど経験をつんだ後のほうが学びやすい。―― 『断絶の時代』

2007年5月

   社会とは人間の実存の表層であり外皮である。―― 『断絶の時代』

   私は、未来を予測する人たちの勇気がうらやましい。彼らと競う気はない。 ……量的な予測は重要でさえない。 重要なことは今日とは異なる側面とその意味である。―― 『断絶の時代』

2007年6月

   複雑なものはうまくいかない。 ―― 『イノベーションと企業家精神』   2007年3月発行のドラッカー名著集の新訳より

   通常、ベンチャーが期待にそえず、それどころか生き残れなくなるときのセリフは、 「あの連中に市場をとられるまではうまくいっていた。彼らが市場に出したものはうちのものと大して違わなかった」 である。あるいは、「うまくいっていた。ところがあの連中がとんでもない客に売り始め、そのうちこちらの市場までもっていってしまった」 である。 ―― 『イノベーションと企業家精神』   2007年3月8日発行のドラッカー名著集の新訳より

2007年7月

   たしかに経済的な窮乏は悪である。……しかしそのような窮乏でさえ、自由の喪失ほどの悪ではない。
―― 『「経済人」の終わり』

   現代の全体主義は、かつての独裁とは異なり、政府だけでなく、社会そのものを支配しようとする。
―― 『断絶の時代』   2007年7月13日発行のドラッカー名著集の新訳より

2007年8月

   イノベーションとは未知なるものへの跳躍である。 ……人間の力を主張することではなく、人間の責任を受け入れることである。 ―― 『テクノロジストの条件』

   外部の世界について、情報を組織化することが肝要である。意思決定の責任をもつ者が、 それらの情報をもつことが必要である。 ―― 『ネクスト・ソサエティ』

2007年9月

   つねづね言っていることだが、マネジメントは科学ではない。臨床的な体系である。 マネジメントの値打ちは、医療と同じように、科学性によってではなく、患者の回復によって判断しなければならない。
―― 『企業とは何か』 (1983年のエピローグ)

   真の保守主義は、現実については、真の革命主義につねに同意する。 ……保守主義は、事実について現実的であることにおいては、決して保守的ではない。 ―― 『産業人の未来』

2007年10月

   自らの貢献に責任をもつ者は、その狭い専門分野を真の全体に関係づけることができる。
―― 『経営者の条件』  ドラッカー名著集の新訳より

   自らに対し、少ししか要求しなければ、成長はしない。 極めて多くを要求すれば、何も達成しない人間と同じ程度の努力で、巨人にまで成長する。 ―― 『経営者の条件』  ドラッカー名著集の新訳より

2007年11月

   より大きな悪を防ぐために悪を利用しようとするとき、人は悪の道具とされる。 ―― 『ドラッカー わが軌跡』

   おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。 日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである。 ―― 『ネクスト・ソサエティ』


2007年12月

   技術の変化を知るための第一のしかも最も容易な方法が、経済的な機会の存在を知ることである。 必要は発明の母ではないが助産婦ではある。 ―― 『断絶の時代』  ドラッカー名著集の新訳より

   あらゆる関係者が起こりえないと知っていることこそ、徹底的に検討しなければならない。 起こりえないことこそ、自社にとって、何かを起こすための大きな機会となりうる。
―― 『創造する経営者』  ドラッカー名著集の新訳より

2008年1月

   事象そのものは、事実ではない。 ―― 『経営者の条件』  ドラッカー名著集の新訳より

   組織において、力強くはあっても腐ったエグゼクティブほど、ほかの者を腐らせる者はいない。
  ―― 『経営者の条件』  ドラッカー名著集の新訳より


2008年2月

   自らをマネジメントするということは、一つの革命である。 思考と行動において、これまでのものとは一八〇度違うものを要求する  ―― 『明日を支配するもの』

   力を集中するための第一の法則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。
  ―― 『経営者の条件』  ドラッカー名著集の新訳より


2008年3月

   社会とは人間環境の「生態」である。  ―― 『経済人の終わり』  ドラッカー名著集の新訳より

   起業家精神という言葉は、経済の世界で生まれはしたものの、経済の領域に限定されるものではない。
人間の実存にかかわる活動を除くあらゆる人間活動に適用される。
  ―― 『イノベーションと企業家精神』  ドラッカー名著集の新訳より


2008年4月

   マネジメントは、全面的な社会的責任ではなく、部分的な社会的責任を担うだけである。 したがって、全面的な社会的権限ではなく、部分的な社会的権限をもつにすぎない。
  ―― 『現代の経営』  ドラッカー名著集の新訳より

   社会的理想像ほど、急速に、かつ予期せぬかたちで変化するものはない。
  ―― 『産業人の未来』  ドラッカー名著集の新訳より


2008年5月

   真のマーケティングは、顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する。
  ―― 『経営者の条件』  ドラッカー名著集の新訳より

   私の知っている一流の教師は皆、子供と大人の区別をしていません。進み方の早さに違いがあるだけです。 中身は大人のレベルです。入門クラスであってもレベルは大人のものなのです。
  ―― 『非営利組織の経営』  ドラッカー名著集の新訳より

2008年6月

   卓越した者の強みや能力が他の者にとっての脅威となり、 その仕事ぶりが他の者にとっての問題や不安や障害となることほど、組織にとって深刻な問題はない。   ―― 『現代の経営』 ドラッカー名著集の新訳より

   昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う。
  ―― 『イノベーションと企業家精神』  ドラッカー名著集の新訳より

2008年7月

   死体が臭わないようにすることほど涙ぐましく、しかも不毛な仕事はない。
  ―― 『イノベーションと企業家精神』  ドラッカー名著集の新訳より

   マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない。
  ―― 『マネジメント ― 課題、責任、実践』

2008年8月

   指揮者は、一人の人間を受け入れるために、楽譜を書き直したりはしない。
  ―― 『経営者の条件』  ドラッカー名著集の新訳より

   われわれが今日直面しているのは、「新世界無秩序」である。しかも、それがどれほど続くかは不明である。   ―― 『ポスト資本主義社会』  ドラッカー名著集の新訳より

2008年9月

   否定の強調は、明らかに前向きな信条の欠如を補おうとするものである。
  ―― 『経済人の終わり』  ドラッカー名著集の新訳より

   経営管理者は現実的でなければならない。しかるに、冷笑家ほど現実的でない者はいない。
  ―― 『現代の経営』  ドラッカー名著集の新訳より

2008年10月

   部分は全体との関係において存在しうるにすぎない。  ―― 『テクノロジストの条件』

   予期せぬものは、通念や自信を打ち砕いてくれるからこそイノベーションの宝庫となる。
  ―― 『イノベーションと企業家精神』  ドラッカー名著集の新訳より

2008年11月

   一つの成果をうるためには数千のアイデアを育てなければならない。
  ―― 『断絶の時代』  ドラッカー名著集の新訳より

   今日われわれは、賢人の石を発見したと称する錬金術師たちが、たんなる詐欺師であって、 騙された貴族や哲学者、学者が、たんに馬鹿だったにすぎないことを知っている。
  ―― 『「経済人」の終わり』  ドラッカー名著集の新訳より

2008年12月

   変化はコントロールできない。できることは、その先頭にたつことだけである。
  ―― 『チェンジ・リーダーの条件』

   グローバル経済はすでに現実である。にもかかわらず必要な仕組みはまだできていない。 グローバルな法が緊急に必要とされている。  ―― 『新しい現実』


2009年1月

   成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、 われわれを全体主義から守る唯一の手だてである。  ―― 『マネジメント』  ドラッカー名著集の新訳より

   われわれは、この時代を偉大な発展の時代にすることができる。
  ―― 『断絶の時代』  ドラッカー名著集の新訳より


2009年2月

   企業の精神は、どのような人たちを高い地位につけるかによって決まる。   ―― 『創造する経営者』

   人を見分ける力に自信のある人ほど間違った人事を行う。 人を見分けるなどは限りある身の人間に与えられた力ではない。   ―― 『非営利組織の経営』


2009年3月

   間違った問題への正しい答えほど始末におえないものはない。   ―― 『マネジメント』

   すでに社会は、「どれだけの教育ある者を扶養できるか」から、「どれだけの教育のない者を扶養できるか」へと問題の焦点を移している。   ―― 『マネジメント』


2009年4月

   部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない。   ―― 『企業とは何か』

   事業には、それ以上成功することは自らにとって有害であるという分岐点がありうる。
  ―― 『企業とは何か』


2009年5月

   成果とはつねに成功することではない。そこには、間違いや失敗を許す余地がなければならない。
  ―― 『マネジメント』

   「売上げと利益の両方の伸びを約束する経営者は、嘘つきか馬鹿のどちらかだよ。たいていは両方だ」
  ―― フリードバーグの発言 『傍観者の時代』


2009年6月

   ばかな客の悪口を言ってはならない。「別のやり方があるかもしれない」と言わなければならない。
  ―― 『非営利組織の経営』

   顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない。  ―― 『マネジメント』


2009年7月

   仕事という言葉自体が、仕事がいかに複雑に人の一生、心、社会との絆、自らの実存にかかわっているかを示している。   ―― 『マネジメント』

   あらゆる知識が、やがては間違った知識となる。  ―― 『新しい現実』


2009年8月

   理論は現実に従う。   ―― 『マネジメント』

   人の手になるものはすべて陳腐化する。  ―― 『非営利組織の経営』


2009年9月

   経営政策を含め人間社会にかかわる事柄において、重要なことは正しいか間違いかではない。うまくいくかいかないかである。   ―― 『企業とは何か』

   後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる。
  ―― 『非営利組織の経営』

2009年10月

   問題の発生を見通すことのできた組織には、不人気なことを行うべき責任がある。  ―― 『断絶の時代』

   社会の不完全さに対するしたり顔の諦めほど軽蔑すべきものはない。  ―― 『企業とは何か』


2009年11月

   企業家とは、資源に富を生む力を与える人たちのことだ。それだけだ。  ―― 『断絶の時代』

   仕事の仕方は強みと同じように与件である。修正できても、変更することはできない。
  ―― 『明日を支配するもの』


2009年12月

   今日、完全な青写真を提示している者は、何が本当の問題かを知らないことを暗に白状しているにすぎない。 ―― 『産業人の未来』

   優れた組織の文化は、昨日の優れた仕事を今日の当然の仕事に、昨日の卓越した仕事を今日の並の仕事に変える。   ―― 『現代の経営』


2010年1月

   今日世界は、近代的であると同時に、際立って非西洋的な文化を必要としている。 世界は、ニューヨークまがいやロサンゼルスまがい、あるいはフランクフルトまがいの日本ではなく、日本的な日本を必要としている。  ―― 『すでに起こった未来』

   社会の本質とは、静的な量ではなく動的な要因である。事実の集積ではなく、事実に意味を与える表象である。平均ではなく、代表的存在である。  ―― 『企業とは何か』


2010年2月

   生産的であることが、よい人間関係の唯一の定義である。 ―― 『経営者の条件』

   判断の代わりに公式を使うことはつねに間違いである。 ―― 『現代の経営』


2010年3月

   イノベーションには地平線のかなたの稲妻を電力に変える働きがある。 ―― 『テクノロジストの条件』

   何が受け入れやすいか、また何が反対を招くからいうべきではないかを心配することは、無益であって、時間の無駄である。心配したことは決して起こらず、予想しなかった困難や苦情が突然、ほとんど対処しがたい障害となって現れる   ―― 『経営者の条件』


2010年4月

   内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い。 ―― 『非営利組織の経営』

   できない子は、生まれつきではなく、できる子であるわけがないという決めつけからつくられる。
  ―― 『断絶の時代』


2010年5月

   未来は、「脱西洋」かもしれない。「反西洋」かもしれない。しかし、「非西洋」ではない。
 ―― 『ポスト資本主義社会』

   簒奪した王座にある善人による統治は、権力さえ手にすれば正統性は一顧だにしない悪人による統治よりも短命である。 ―― 『産業人の未来』


2010年6月

   非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している。
 ―― 『マネジメント』

   未来において何かを起こすには、特に創造性は必要ない。必要なものは、天才の業ではなく仕事である。
 ―― 『創造する経営者』


2010年7月

   市場と流通チャネルは、事業の外部にあってコントロールできない。製品の変更は命令できても、市場や流通チャネルの変更は命令できない。 ―― 『創造する経営者』

   すでに起こった未来を見つけ、その影響を見ることによって、新しい知覚がもたらされる。新しい現実が見える。まず必要なことは、見えるようにすることである。 ―― 『創造する経営者』


2010年8月

   自由な社会は、人間というものが、基本的に完全ならざる存在、完全たりえぬ存在であって、しかも完全ならざるがゆえに責任を伴う存在であるとの認識によってはじめて可能となる。 ―― 『産業人の未来』

   組織の責任に関する原則は、自らのもたらす影響を事前に知り、予防することである。好ましからざる影響を自ら防がなければ、問題のほうからやってくる。 ―― 『断絶の時代』


2010年9月

   働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す。 ―― 『現代の経営』

   正しい組織構造が成果をあげることを約束するわけではない。しかし間違った構造は成果をあげられないことを約束する。 ―― 『マネジメント』


2010年10月

   実際には、真に特殊な問題というものは極めて少ない。したがって、それらしきものに出会っても、「真に例外的なことか、それとも、まだわからない何か新しいことの最初の現れか」と問わなければならない。
 ―― 『経営者の条件』

   もはやマネジメントにとって、技術はかつてのようなシンデレラではない。最愛の花嫁となるか、いじわるな継母となるかはわからない。 ―― 『テクノロジストの条件』


2010年11月

   現実が主人である。カリスマの公約、プログラム、思想に対し現実のほうが膝を屈することはない。
 ―― 『新しい現実』

   多様性の現実に対する答えは、単一性ではない。答えは絆である。 ―― 『断絶の時代』


2010年12月

   ファシズムは適法性や継続性を重視する。そして、それが観察者の目を曇らせ、かつその革命的性格の認識を困難にする。 ―― 『「経済人」の終わり』

   本物の変化とは人が行うことであり、一時の変化は人が言うことである。話にばかり出てくるものは一時のものである。 ―― 『ネクスト・ソサエティ』


2011年1月

   神学は信条が消えた後も生き残る。 ―― 『傍観者の時代』

   成果のあがらないもの、希望のないもの、報われないものを継続すべきことを正当化するための議論が、単なる言い訳以上のものであることは稀である。 ―― 『創造する経営者』


2011年2月

   権力を馬鹿にすれば、悪用される。 ―― 『断絶の時代』

   人間は、いかなる肩書や地位をもとうとも、明日を知ることはできない。したがって、昨日いかに勇気があり、賢明であったとしても、その決定や行動は、今日になれば、問題あるいは危機、愚かさとなる。
  ―― 『経営者の条件』


2011年3月

   組織の基盤となる原理は、「私的な悪徳は公益となる」ではない。「私的な強みは公益となる」である。これが、マネジメントの正統性の根拠である。マネジメントの権限の基盤となりうる正統性である。
  ―― 『マネジメント』

   組織の中の人間や同業他社の人間としか接触をもたないとすれば、普通の人間がどう行動するか理解できなくなる。挙げ句の果てには、「正しいやり方と間違ったやり方、わが社のやり方」があるなどとうそぶくことになる。 ―― 『マネジメント』


2011年4月

   戦時や自然による大災害時には、答は簡単である。社会の生存が、社会の一機関の生存よりも優先する。 ―― 『ポスト資本主義社会』

   日本の社会が強固か脆弱かは、ここでは問題にしない。重要なことは、日本が社会を最重視することを当然としていることにある。 ―― 『明日を支配するもの』

   戦後10年、そこには新生日本があった。驚くべきことに、あくまでも日本としての日本が生まれていた。ここでも、人類の歴史上、戦後日本には似たものがなかった。とはいえ、戦後日本の奇跡については説明がつく。それは主としてマネジメントの成果だった。 ―― 『プロフェッショナルの条件』


2011年5月

   「責任」は同時に「権限」を意味する。一方があって他方がないということはありえない。 ―― 『現代の経営』

   基本的な変化が、自らの事業どころか、経済にさえ関係のない外の世界で起こっていることを認識している企業は、私の知るかぎりほとんどない。 ―― 『創造する経営者』


2011年6月

   現実に直接触れることを中心にフィードバックを行わないかぎり、すなわち自ら出かけていって自ら確かめることを自らに課さないかぎり、不毛の独断から逃れることはできず、成果をあげることもできない。
―― 『経営者の条件』

   多くの人が、話上手だから人との関係は得意だと思っている。対人関係のポイントが聞く力にあることを知らない。 ―― 『非営利組織の経営』


2011年7月

   成果をあげるエグゼクティブは時間と競争はしない。ゆっくり進む。 ―― 『経営者の条件』

   内部の者が一致して歓迎するものの見方については、つねに疑ってかからなければならない。もしみんなが「これこそ、待っていたものである」と言うならば、事実の報告ではなく、願望の表明にすぎないおそれがある。 ―― 『創造する経営者』


2011年8月

   組織にとっては、リーダーを育てることのほうが、製品を効率よく低コストで生産することよりも重要である。 ―― 『企業とは何か』

   傑出した仕事をする者を、事前に知る方法はない。実際に仕事をさせるしかない。 ―― 『断絶の時代』


2011年9月

   認識の変化が起こっても、実体は変化しない。意味が変化する。「半分入っている」から「半分空である」に変化する。 ―― 『イノベーションと企業家精神』

   成功している組織には、愛想が悪く、あえて人を助けようとせず、人づきあいもよくない上司が必ずいる。冷たく、厳しく、不愉快そうでありながら、だれよりも多くの人たちを育成する人たちがいる。最も好かれている人よりも尊敬を得ている人がいる。 ―― 『現代の経営』


2011年10月

   成果をあげる道は、尊敬すべき上司、成功している上司を真似することではない。たとえ私の本であっても、そこに載っているプログラムに従うことではない。指紋のように自らに固有の強みを発揮しなければ成果をあげることはできない。 ―― 『非営利組織の経営』

   「正しい結果を与えてくれる最も簡単な分析は何か。最も簡単な道具は何か」を問わなければならない。アインシュタインは、黒板よりも複雑なものは、何も使わなかった。 ―― 『創造する経営者』


2011年11月

   責任なき権限は専制であり、権限なき責任は無能である。 ―― 『企業とは何か』

   トップが不安定であることは、トップが無能であることと同じように始末に困る。 ―― 『断絶の時代』


2011年12月

   社会の不完全さに対するしたり顔の諦めほど軽蔑すべきものはない。 ―― 『企業とは何か』

   一人ひとりの人間、それぞれの信条、信念、気持ちを忖度しないことは、ガス室建設の第一歩となる。
―― 『傍観者の時代』


2012年1月

   間違った問題への正しい答えほど始末に負えないものはない。 ―― 『マネジメント』

   そもそも組織は、自らが政治的な能力をもつことに関心をもたないし、またもつべきでもない。関心をもつべきは、あくまでも自らの機能にかかわることに対してである。 ―― 『ポスト資本主義社会』


2012年2月

   リーダーたる者は、あらゆる行動において、翌朝鏡の中に見たい自分であるかを考えることを習慣化しなければならない。あるいは、自らのリーダーがそうあってほしいかを自問しなければならない。この問いを発するだけで、これまで多くのリーダーを破滅させてきた過ちから身を守ることができる。 ―― 『非営利組織の経営』

   変化の時代にあっては夢にすぎないが、理想的に設計された組織とは、会議のまったく開かれない組織である。 ―― 『経営者の条件』


2012年3月

   この8000年の間に、新しく現れた教育のための道具は、印刷された教科書だけである。しかし今日、その教科書でさえ、どう使うべきかを本当に知る教師はあまりいない。 ―― 『断絶の時代』

   会議を成果あるものにするには、会議の冒頭に、会議の目的と果たすべき貢献を明らかにしなければならない。そして会議をその目的に沿って進めなければならない。特定の目的のある会議を、だれもが勝手に素晴らしいアイデアを言い合う自由討議の場としてはならない。 ―― 『経営者の条件』


2012年4月

   成果をあげられない人は、まず第一に、一つの仕事に必要な時間を過小に評価してしまう。すべてがうまくいくものと期待する。しかし、だれもが知っているように、何もうまくいきはしない。予期せざることが、常に起こる。しかも、それら予期せざることは、ほとんど常に、愉快なことではない。 ―― 『経営者の条件』

   人はルーツを必要とする。ホームも必要とする。子供の学校のこともある。親の面倒もみなければならない。加えて、新しい土地でうまくいくかは、人事部よりも本人のほうが知っている。 ―― 『マネジメント』


2012年5月

   予期せぬ成功はマネジメントに対する挑戦である。 ―― 『イノベーションと企業家精神』

   国民的な気質というものは存在する。しかしそれは意思決定の内容には関係がない。ものごとを丁寧に行う人間と、さっと行う人間の、どちらが人殺しになりやすいかはわからない。 ―― 『産業人の未来』


2012年6月

   いかなる組織といえども、ベネディクト修道院のようにコミュニティや社会から絶縁して存在することはできない。 ―― 『マネジメント』

   人間は、多様な知識や特殊な技能は身につけることができる。しかし気質を変えることはできない。
―― 『経営者の条件』


2012年7月

   人間は、理想の社会ではなく、現実の社会と政治を自らの社会的政治的行動の基盤としなければならない。 ―― 『産業人の未来』

   明らかに間違った結論に達している人間は、自分とは違う現実を見、違う問題に気づいているに違いないと考える必要がある。 ―― 『経営者の条件』


2012年8月

   魔法使いが魔法使いたるゆえんは、論理の法則のすべてに反する未知の超自然的な方法によって、自然的な奇跡を行うところにある。 ―― 『経済人の終わり』

   注意を引く問題は、実際は症状の一つにすぎないと考えなければならない。そして本当の問題を探さなければならない。単に症状だけの手当てで満足してはならない。 ―― 『経営者の条件』


2012年9月

   知識人の世界は、組織人による均衡がなければ「好きなことをする」だけとなり、意味あることは何もしない世界になる。組織人の世界も、知識人による均衡がなければ、形式主義に陥り、組織人間が支配する無気力な灰色の世界に堕する。両者が均衡して初めて、創造と秩序、自己実現と課題達成が可能となる。
―― 『ポスト資本主義社会』

   知識労働者を直接あるいは細部にわたって監督することはできない。助力を与えることができるだけである。知識労働者は、自らを監督しなければならない。そしてまた、彼は、自らの仕事を業績や貢献に結びつけるべく、すなわち成果をあげるべく、自らを監督しなければならない。 ―― 『経営者の条件』


2012年10月

   大きく設計した仕事が害をなすことはない。たとえ害があっても直ちに直すことができる。ところが、小さく設計した仕事は、人と組織を知らぬ間に麻痺させる。 ―― 『マネジメント』

   人とは学びの存在である。 ―― 『傍観者の時代』


ページトップへ  ページトップへ  

   Copyright © 2006-2012 ドラッカー学会 Drucker Workshop, All Rights Reserved.